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修の呟き

2013.09.15(14:15) 1016

 この夏、仕事の待機時間を利用して浅田次郎さんの「終わらざる夏」(集英社文庫、上、中、下)と百田尚樹さんの「永遠の0(ゼロ)」(講談社文庫)、妹尾河童さんの「少年H」(講談社文庫上、下)を読み上げました。いずれも「戦争」をテーマにした小説です。得てして「戦争」ものには「戦争」を美化する小説が多いのですが、三作品は「戦争」を通して「戦争」の愚かさを伝えようという著者の意志がひしひしと伝わってきました。

 すでに読まれた方も多いと思いますのでここでは特に感想は書きません。でも「終わらざる夏」で書かれた占守島(シュムシュとう)の悲劇については恥ずかしながら知りませんでした。「永遠の0」は「零戦」が優れた戦闘機であることと同時に、人命軽視の戦闘機であったことを明らかにし、人命を無視した特攻隊員を生んだとみています。また特攻隊員も志願せざるを得ない状況に追い込まれての志願だったとみています。このため多くの優秀な人材が失われ、戦後日本づくりに影響を与えた可能性を示唆されているが印象的でした。「少年H」は知らず知らずのうちにまわりの空気が変わっていく「時代」を見事に書き込まれていました。河童さんは「戦争はね、ある日突然くるもんじゃない。小石がパラパラと落ちてきたりするていど。でも実はそれが、戦争が始まる前兆だったことを、後になってから知ることになるの」と、言われているそうです。私は今がその時期ではないかと、不安な思いが募っています。

 さて、特攻隊員の話を一つ紹介したいと思います。私のささやかながら関わらせていただいた映画「人間の翼」の話です。戦後50年にちなみ、1995年に製作。監督は松田優作主演の「暴力教室」などを手掛けた岡本明久監督。制作費約3億5千万円(当初)は市民募金と企業の協力で集めました。映画は私の母校、佐賀商業出身で、特攻隊員として22歳の若さで戦死したプロ野球名古屋軍(現中日)のエース石丸進一投手の青春を描いています。石丸投手役には東根作寿英さんが務めました。

 石丸投手は41年(昭和16年)佐賀商業卒業後、名古屋軍に入団。43年には戦前最後のノーヒットノーランを記録し、当時試合数84試合のなかで20勝を上げるなど活躍しました。しかし、プロとして2シーズンしか投げないまま、学徒動員で土浦海軍航空隊に入隊。45年特攻隊員に志願、5月に鹿児島県の鹿屋基地から出撃して、帰らぬ人になりました。当時、岡本監督は「戦争によって、好きな野球の道を閉ざされた石丸投手の思いを若い人に伝えたい」と話されていました。私も戦争の愚かさを伝えたいという想いで当時、映画作りのお手伝いをちょっとだけさせていただきました。
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