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修の呟き

2013.11.03(18:03) 1094

 3日付佐賀新聞読書欄の「ページの余白」というコーナーに映画監督で作家の森達也さんの新著「『自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか』と叫ぶ人に訊きたい」(ダイヤモンド社)を紹介する記事が掲載されていました。共同通信の配信だと思いますが、かなり共感できる内容でしたので全文を紹介します。

 この国は今度こそ変わるー。震災直後の被災地を撮影しながら、映画監督の森達也さんはそう確信したという。津波で落命し、肉親を失い、放射線に故郷を追われた人々を前に、多くの日本人が感じた「後ろめたさ」。その痛みが機動力となり、温かく寛容な社会への機運が生まれる…。
 「と思ったんだけど、逆の方に行っちゃった」と寂しく笑う。民意とメディアと政治が不安をあおり合い、危機感で結びついた多数派が「異物」を排撃する。1995年の地下鉄サリン事件を機に生じた風潮は、「千年に一度」の災禍をのみこみ加速した。震災前後の社会評をまとめた新著を貫くのは、こうした認識だ。
 副題に「正義という共同幻想」を掲げ、過去6年分の雑誌連載コラム約40編を収録。オウム真理教と死刑、9・11と監視社会、領土問題、排外デモ、改憲と広く論じる。
 「あれほどの惨事を起こした原発に頼り続け、海外に売り込もうという政党が、選挙で大勝するのが今の日本。多忙な現代人による、必ずしも正しくない多数派が絶対視され、みんなで勝ち馬に乗る心理が広がり始めたのも95年前後だった」
 テレビ番組の製作現場にいた当時、スクープ映像を狙って踏み込んだオウム教団内でふと振り返ると、未曽有の犯罪の動機も背景も知ろうとせず、ひたすらオウム撃滅を叫ぶ人の群れが見えた。世相に敏な制作会社の制止を振り切り、業界から締め出されても続けた取材は、97年のドキュメンタリー映画「A」に結実。急速に「集団化」する社会に警鐘を鳴らす論客として地歩を固めた。
 続編映画「A2」を経て、教祖の死刑確定の問題点を追った2010年のノンフィクション「A3」は有力な賞も得たが、「これで少しは変わるかと思ったのに、世の中は見事に何も変わらない」と森さん。気を取り直して最近、小説の雑誌連載を始めた。フィクッションの起爆力に期待する。
 多数派の攻撃的言説が覆うこの国の子どもたちに、「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」と伝えたい。しんみり話した後、「これ、前に書いた本のタイトルなんだけどね」と照れた。

 もう何度も書きましたが、辺見庸さんが「瓦礫の中から言葉を」(NHK出版新書)のなかで、「けっして3・11が残忍だったのではない。現代社会の残忍性が3・11によってついに証明されたのだ、と」と、訴えられています。原発の危険性をしていながら、特定地域に原発建設を押し付けてきた私たちの責任を追及されている重い訴えだと思います。そして3・11後の今、私たちはさらに残忍になってしまいました。
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