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修の呟き

2013.11.23(21:40) 1132

 想田和弘さんの「日本人は民主主義を捨てたがっているのか?」(岩波ブックレット)を読みました。ものすごく共感できる内容です。雑誌「世界」に寄稿し、加筆・修正したものと、ブログなどに発表した文章を織り交ぜながら、新たに書き下ろした内容で、わずか79ページですので、すぐに読み終えることができます。ぜひ多くの方に読んでいただきたい一冊です。
 第1章は「言葉が『支配』するものー橋下支持の『謎』を追う」というテーマで、「橋下問題」について書かれています。橋下人気について、「既成政党の無能・無策ぶりや、行き詰った経済や福祉制度、原発政策などに対する、人々の鬱積した不満や怒りがあるのは明白でしょう。現状があまりに酷過ぎて、誰かを救世主に仕立てたくなる気持ちも分からないではありません」と指摘。そして「多くの橋下支持者は、橋下氏が使う言葉を九官鳥のようにそっくりそのまま使用する」ことに気づきます。「橋下氏お得意のフレーズを並べてみると、人々が社会に対して抱いている不満や懸念を掬い上げるようなものであることに気づかされます。しかもそこに、人々の(理性ではなく)感情を煽り立てる何かを感じます」「橋下徹という政治家は、そのような人々の感情の鉱脈のありかを察知し、言葉で探り当てることに長けているのです。そしてそこにこそ、彼の言葉の感染力の強さの秘密があるのだと思います」と述べ、例えとして、「彼が『民主主義』という言葉よりも『民意』という言葉を愛用するのは、前者が政治制度をクールに描写するする言葉であるのに対して、後者が有権者の感情に直結している言葉だからではないでしょうか」と説明されています。同時に橋下支持者とのコミュニケーションが成立しないことを指摘した上、「実は僕らにも戦後民主主義的な殺し文句に感染し、むやみに頼りすぎ、何も考えずに唱和してきた側面があるのではないでしょうか」「もちろん、民主主義的な価値そのものを捨て去る必要はありません。むしろある意味、形骸化してしまった民主主義的諸価値を丹念に点検し、ほころびをつくろい、栄養を与え、鍛え直していく必要があるのです」と訴えます。
 第2章、「安倍政権を支えているのは誰なのか?」では、自民党の改憲案を批判し、自民党が目指す「新しい日本」とは、「国民の基本的人権が制限され、個人の自由のない、国家権力がやりたい放題できる、民主主義を捨てた全体主義国家」と、要約できると言い切ります。そして、現行憲法と自民党改憲案を比較、「個人の人権よりも国や社会を上位に置く自民党の姿勢は、改憲案では終始一貫している」と批判します。「これほどまでに悪辣な憲法改定案が公になり、誰でもインターネットで読めるにもかかわれず、なぜマスコミは騒がないのだろうか、と。また、昨年(2012年)12月の衆議院選挙は改悪案の公表後に行われたにもかかわらず、なぜ日本の有権者は、自分たちの人権を骨抜きにしようという意思を持つ自民党を圧勝させてしまったのだろうか、と」と、疑問を提示します。そしてTPP問題や安倍首相の資質問題など含めた安倍擁護論から垣間見える「首相(や政治家)は私たち庶民と同じ凡人でよい」という思想傾向から推論を立てます。「敗戦後、日本国憲法は、私たち日本人に『法の下の平等』の価値を浸透させました。すべて国民は『人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない』ことが憲法第14条で規定され、貴族制度は廃止されました。第24条では『家族生活における個人の尊厳と両性の本質的平等』が規定されましたし、第26条では『教育の機会均等』が定められました。なぜなら、『人はみな平等』という考え抜きに、人権という概念も成立しえませんし、したがって民主主義もありえないからです」「にもかかわらず、僕はここにひとつの危険性を認めざるをえません。『人はみな平等』という考えと、『首相(や政治家)は私たち庶民と同じ凡人でよい』という考えの間にある垣根は思いのほか低く、勘違いして同一視することは極めて容易だからです。そして、日本人の多くはもしかするとこの垣根を取り払ってしまったのではないかという疑念が、僕の頭から去らないのです。そしてそれは、極めて歪んだ形ではあるにせよ、まさに日本国憲法がもたらした『民主主義の成果』であるかもしれないのです」といます。そしてとんでもない思いが浮かびます。「もしかしたら、日本人は民主主義を捨てたがっているのではないか。そのような疑念が、僕の頭を支配しています。少なくとも、自民党議員やその支持者の中には、捨てたがっている人が一定数いることは間違いないようです」と指摘します。
 第3章、「『熱狂なきファシズム』にどう抵抗するか」では、衆参選挙での低投票率について、「客観的に見て民主主義の存続そのものが危機にさらされているにもかかわらず、
半分近くの主権者が、審判に参加することすら拒んだのです」と批判します。そして気になる「事件」に出くわします。トークショーでの若い男性の「政治は分かりにくいからハードルが高い。もっとハードルを下げてもらわないと、関心を持ちにくい」という発言に疑問を持ちます。で、「男性の発言は、政治家に対してのみならず、政治を論じている僕たち登壇者に対する『苦情』だったのではないか。そして、そいう苦情を僕たちが受けることに、僕は違和感を覚えていたのではないか。なぜなら、僕ら登壇者も発言した男性も、『主権者』という意味では同じ立場なのであり、僕らが政治を分かりやすく語っていないと思うなら、彼がその役割を果たそうとしてもよいはずだからです。少なくとも、自分で『分かろう』と努力してもよいはずでしょう。にもかかわらず、男性は僕らに政治を分かりやすく語ることを『要求』している。少なくとも、『当然、要求してよいはずだ』という確信を抱いているようにみえる。なおかつ、『自分はそれは要求されない』ともしんじているようにみえる」と思い至った瞬間、「そうか、あれは消費者の態度だ」と直感したそうです。「自らを政治サービスの消費者であるとイメージしている彼は、政治について理解しようと努力する責任が自分自身にもあろうとは、思いもよらなかったのではないか」と指摘し、「政治家は政治サービスの提供者で、主権者は投票と税金を対価にしたその消費者であると、政治家も主権者もイメージしている。そいう『消費者民主主義』とでも呼ぶべき病が、日本の民主主義を蝕みつつあるのではないか。だとすると、『投票に行かない』『政治に関心を持たない』という消極的な『協力』によって、熱狂なきファシズムが静かに進行していく道理もつかめます」といいます。最後に、「『熱狂なきファシズム』に抵抗していく究極の手段は、主権者一人ひとりが『不断の努力』をしていくことにほかならないのだと信じます」と締めくくっています。
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