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恥ずかしい日本大使の事実誤認 独紙上での日中大使論争

2014.03.20(19:51) 1417

<JCJふらっしゅ 2351号より>


     恥ずかしい日本大使の事実誤認 独紙上での日中大使論争

      過去との向き合い方と政治の進め方 日独に決定的な違い

                        藤江‐ヴィンター公子


◇フランクフルターアルゲマイネ紙での日中「戦後和解」論争

 今年一月二十一日付ネット上の朝日新聞を開くと、「靖国参拝、ドイツ紙上でも論
戦 日中の駐独大使が応酬」という見出しの記事が目に付いた。中国の史明徳大使
が「平和を危うくする日本」と題して十四日付フランクフルター アルゲマイネ紙に
寄稿して安倍政権を批判したものに対し、中根猛駐独日本大使が二十一日付同紙上で
反論したという。その内容は以下の通り恥ずべきものだ。

◇事実を逆転させる日本大使

 史明徳大使が、戦後ドイツの「過去の克服」を称賛し「もし日本がドイツのように
振る舞っていたならば、日本も和解と各国の信頼を得ていただろう」と主張したのに
対し、中根猛大使は「ドイツの隣国はドイツに和解の手をさしのべ、欧州連合という
偉大なプロジェクトに共に取り組んできたが、残念ながら日本を取り巻く地域はその
ような状況にない」と指摘し、そう云う状況だからこそ安倍政権との対話に応じるよ
う中国側に求めた、というのだから。

 これを読んで、本当に驚いた。
 大使として国を代表する人が、赴任先の国の現代史の中核とも云える事実を認識し
ていないとはどうしたことか、と唖然としたのだ。そして、このような公表される文
章を大使自身が書き、自ら新聞社に送ることなどないであろうから、少なくとも数人
の外交官なる人々の手も目も通って来たものと思われる。すなわち、それらの中の誰
も赴任先の国の現代史の重要な部分を理解していないことになる。しかも、ドイツの
保守系の主要な新聞に載って多くのドイツ人にも読まれたことを思うと、心から恥ず
かしいと感じた。

◇「和解」の手を差し伸べたのはドイツ

 戦後ドイツの隣国がドイツに対し和解の手を差し伸べたから、相互の友好関係が育
ち、欧州連合に発展したのではない。逆である。

 ナチ時代に、ドイツがユダヤ人はじめ隣国の人々に対して犯した罪はあまりにも重
かった。それで当然のことながら、加害者であるドイツが被害者である隣国に対し許
しを乞うて和解の手を差し伸べたのだが、隣国がその手を受けて徐々に友好関係が育
っていくまで数十年の時を要した。その間ドイツは、ナチ時代に自国が犯した罪を検
証し明らかにして、自国の現代史の中にしっかりと位置づける作業を現在まで続けて
いる。

◇過去と真摯に向かう努力─日独の落差

 日本は同じ敗戦国のドイツとよく比較されるが、戦後経済力を強化して世界の中で
の発言力を強めることに重点を置いてきたという点ではよく似ている。

 ただ、自国の過去に対する向かい方やその扱い方、理解の仕方、そしてそれに基づ
いた自国の政治の進め方においては大きく異なっている。

 まず、大きな違いだと思われる点は、ドイツには歴史の扱い方にタブーが無いこと
だ。自国の過去にどんなに恥ずべきことがあっても、どんなに見たくないものでも、
史実であれば掘り起こす努力をよしとしている様々なレベルの民間人も、自分の住ん
でいる地域の“過去“を掘り起こして明らかにする努力をして来たし、学者やジャー
ナリストは文献を調べたり現地の被害者の聞き取り調査をしたりして情報を一般国民
に提供し、自国の膨大な負の現代史へのアクセスを可能にしている。

 メディアや国の機関などによる様々な報道や、展覧会、講演会など、多くの手段で
市民は容易に自国の過去に関する情報を手に入れることができる。そして、5月8日
の敗戦記念日はもちろんのこと、1月27日のアウシュヴィッツ強制収容所が解放さ
れた日、11月9日のホロコーストが口火を切った日、その他いくつもの?記念日?
の前後には、その日のことが多くのメディアで語られ、犠牲者を悼む催しが毎年各地
で行われている。

◇歴史教育の中に

 このような作業が戦後70年経った今もずっと続けられているのは、国家が自国の
過去に真に向かい合うことを国是としてその作業を助けることがなければ、不可能に
近い。国が積極的であればこそ、現代史の?発掘作業?によって得られた知識が、学
校での歴史教育の中にもしっかりと根付いている。

また、学校の教科を通してだけではなく、ナチの強制収容所を生き延びたユダヤ人な
どの“生き証人“を学校に呼んで話しを聞き質問したりすること、あるいは高学年の
生徒が強制収容所を見学したりすることが、ごく普通の学校での歴史教育の中に組み
込まれている。

これによって、子供あるいは若者達は自国の歩んできた道──誇るべきことも恥ずべ
きことも含んだ歴史──を知り、それを踏まえて現在の世界の動きを見たり、隣国の
若者達との交流を行ったりしている。

 国境を接していて、ドイツから被った被害が特に大きかったポーランドやフランス
との間には、高校や大学のレベルでの交換学生を奨励したり、国境に近い学校に相手
国の言葉を習得学科として積極的に導入することも続いている。

◇加害者が被害者に受容してもらうことの難しさ──ポーランドで目撃したこと

 1970年12月、ワルシャワ-ゲットー蜂起の記念碑の前で思わず跪き、ドイツ
の犯罪の犠牲者であるポーランド人に許しを乞うたブラント首相の姿は、東欧諸国へ
和解を求めて差し伸べられた最初のドイツの“手“として隣国からも受け取られたと
思う。ブラントの東方政策によってドイツ─ポーランド間に国家協定が結ばれ、その
後の努力によって徐々に関係はよい方向へと進んで行った。それから20年以上経た
1994年8月1日、ワルシャワ蜂起50周年記念式典においてドイツの大統領とし
て初めてヘルツォークがスピーチを行うことが報道された。

 筆者はそれを聞いて、収容所巡りの旅程を急遽変更してその場に行ってみた。主賓
として招かれた蜂起の参加者である老年の方々のために席が設けられ、それを取り巻
くように市民が野外の催し場を埋め尽くしていた。彼らは、被害者の側に寄り添うこ
とのできる立場にいる米国やその他の国の大使などのスピーチに、歓声のような明る
い拍手をおくっていた。それに比べ、ヘルツォーク大統領のスピーチは、許しを乞う
者の言葉の重さと、それを受け止める側の気持ちの重さが折り重なってその場を深閑
とさせた。拍手も起ったが、形容しがたい重いものだった。

 この経験は、重い罪を犯した加害者が被害者に対して和解の手を差し伸べ、その手
を被害者に受けてもらうことがいかに困難であるかを教えてくれた。

  ヴァイツゼッカー大統領が、敗戦の日をナチ政権からの「解放の日」と呼び、過
去に盲目である者は現在も未来も見えない、という意味のスピーチを行ったのは、こ
れより9年も前のことなのである。

◇日本に羅針盤はあるか?

 2014年、ドイツとその隣国とは?ごく普通?の隣同士の国々として、内外の情
勢から見ても友好関係にあると思われる。この関係を保って行こうとする努力は、ド
イツ側からも隣国側からも様々な面で続けられている。

 補償の問題ではまだ満足が得られない点が残っているが、戦後70年近く経った
今、「加害者」が和解のために差し伸べた手を「被害者」がしっかりと受け止めて、
それを軸にしてもっと大きな共同体へと発展して来ている、ということを感じる。

 日中が世界各地のメディアを通し「舌戦」を繰り広げていて、「売られた喧嘩は買
うが、こちらから仕掛けることは一切しない」と外務省幹部が言っていると聞いた。
複雑な世界情勢を理解するには、歴史的な縦軸と現在進行形の世界情勢という横軸の
両方を見ることが必要だと思うのだが、この程度の理解で進んでいる今の日本の政治
に羅針盤はあるのだろうか。

                       (翻訳・通訳者、在ベルリン)

       *JCJ月刊機関紙「ジャーナリスト」2014年3月25日号8面
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