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「大牟田爆発赤痢事件」から77年

2014.09.25(21:10) 1905


原田です。

「大牟田爆発赤痢事件」から77年

 今日9月25日は福岡県南部の工業都市・大牟田市で「爆発赤痢事件」が発生した日です。
日中戦争勃発直後の昭和12年(1937年)のこの日の夕方突然、1万人以上の市民が腹痛や喉の
痛みを訴え、数日の間に幼児を中心に700名以上が亡くなるという大惨事となりました。

 大牟田市役所近くの笹林公園には、事件の慰霊碑が建てられています。碑文には「本市ハ忽ニ
シテ阿鼻叫喚ノ巷ト化シ官民必死ノ防疫ニモ拘ラズ竟ニ一萬数千ノ罹患者ヲ出シ七百十二名ノ
精魂ヲ奪ハル」とだけ記されていて、大惨事となった原因については一切触れられていません。

 事件は赤痢の爆発的大流行とされていますが、市内の化学工場の爆発が原因との説もあり、
真相はいまだに定かではありません。地元の有志で「大牟田爆発赤痢研究会」が結成され、真相
解明は今も続いています。

「研究会」の調査によると、9月25日の夕方と深夜に市内の化学工場で2度爆発事故があったこと
がわかっています。さらに同社の社史から、事件発生当時は、日中戦争勃発直後のため同工場
に対し、陸・海軍からそれぞれ毒ガスの大量発注があったこと、フル操業でてんてこ舞いの中、
昭和12年9月にトラブルが続出したこと、などの記述を発見しています。

 なお、死者多数発生後に軍が市民に赤痢予防錠なる錠剤(複数の赤痢菌を混練したもの)を
全市民に配布していたこともわかっています。毒ガス工場の爆発を隠蔽するために、軍が意図的に
赤痢を流行させた疑いがもたれています。

 大牟田で作られていた毒ガスは最終的には曽根村(現・小倉南区)の毒ガス工場で充填され、
旧北九州空港から中国に運ばれました。終戦時の在庫は苅田沖などに投棄されるなど、北九州と
無縁の事件ではありません。

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修の呟き


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【2016/03/12 10:32】 | # | [edit]
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