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<book23-15『わたしの脇役人生』(沢村貞子)>

★ 松岡 勲 さんから

 

book23-15『わたしの脇役人生』(沢村貞子)>

 

 沢村貞子著『わたしの脇役人生』(新潮文庫)を読んだ。実に惚れ惚れする文

章だ。どこを読んでも心をひかれる。2箇所引用して紹介する。

 

 (おカツさんは)二十一歳で結婚。働きものの夫は大崎に鉄工所を建て、国鉄

の仕事をしていたが、おカツさんが三十歳のとき、無理がたたって病死(中略)

父を見送ったあと、早稲田の法科へはいった一人息子も卒業をひかえ、やっと肩

の荷をおろしたトタンに、悪夢のような学徒出陣ーー二箇月後、呆然としている

母親の手に渡されたのはフィリピンでの戦死の公報。やがてー息子の名前を書い

た一枚の木札に、三百八十円也のお金を添えた骨箱が届けられた。      

                        (「おカツさんのこと」)

 

 浅草の歌舞伎作者で、粋な江戸っ子だった父は、ときどき、小娘の私をつかま

えて、眉をしかめたものだった。

「まったく、バチだな、お前は・・・」

 バチは場違いーー本物の品物ではない、ということ。つまり、

(お前はこの家に似合わない女の子だ)

 と嘆いたわけである。

 そうかも知れなかった。下町の娘のくせに、化粧もしないし、おしゃべりも嫌

い、三味線も踊りの稽古もこっそり抜け出して、玄関の隅で小さくなって本ばか

り読んでいたのだから・・・年頃になってもサッパリ色気が出ない、親たちを嘆

かせた。

 おかしいことにーー父のその言葉は、私の一生をピタリと言いあてていた。私

はそれからずっと、どこへ行ってもバチだった。           (「場

違いの人生の感慨」)

 

 図書館で沢村貞子著『貝の歌』(日本図書センター)を借りてきた。この本は

沢村さんの最初のエッセイで、それを底本として死後に再刊されたものだ。年譜

と写真もついtrいていい本だ。またアマゾンで沢村貞子著『わたしの献立日記』

(新潮社の単行本)を購入して、台所の着き絵の上に置いた。決してまねははで

きないが、センスを味わってみようと思っている。


(第4363目☆原発なくそう!九電本店前ひろば★より)

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平和な有明海

Author:平和な有明海
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佐賀市在住です。平和や障がい者、有明海問題に強い関心を持っています。1950年生まれ。戦争法廃止、原発廃止、有明海再生、障害者と共生できる社会づくりを目指します。

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