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「日本は本当に戦争に備えるのですか?」

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 大槻書店から出されている「日本は本当に戦争に備えるのですか?」から紹介します。2023119日に「今、リアリズムとは何かー安保三文書を議論する」というタイトルで、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科の主催するグローバル・ジャスティス・セミナー第67回として開催されたオンラインイベントを基にした本です。岡野八代、志田陽子、布施祐仁、三牧聖子、望月衣塑子さんが発言、執筆しています。中身が濃い内容で、ぜひご一読をお勧めします。

 この中で岡野さんが、社会学者チャールズ・ティリー(19292008)の議論を紹介しています。いま、佐賀空港へのオスプレイ配備計画に伴う基地建設が法律を無視して強行されています。ものを言わせず、法律を踏みにじっても基地建設を強行する「脅し文句」が「国防」です。市民のくらしや命を無視した「国防」と何なのかを考えるきっかけになると思います。

 

 特定の政府や一般的に政府を擁護する者たちは、まさに次のように論じる点で共通している。つまり政府は、国内の、そして外国の暴力からの保護を提供しているのだ、と。かれらは、政府が人びとに課す保護の対価[税金や徴兵―引用者]は、実際に保護にかかる費用よりも安いのだと主張する。保護にかかる費用が高いと文句を言う人びとのことを「非国民」とか「転覆者」呼ばわりし、時には両方の汚名を着せる。しかしここで、ゆすり屋racketeerとは、自分で脅威を作り出し、そしてその脅威を減じてやるからお金を出せという者である、ということを考えておかねばならない。政府が、その市民を守ろうとしている脅威が架空のものであったり、実際には政府の活動が引き起こした結果であったりするならば、その政府とは「守ってやるぞ詐欺/保護の名のもとでの脅迫a protection racket」を組織しているのだ。政府は通常、外部との戦争という脅威をシミュレートし、刺激し、ときにでっち上げたりさえする。また、政府の抑圧や税金の取り立てがしばしば市民の生活に対するもっとも大きな現実の脅威となる。そのため、多くの政府は本質的にゆすり屋と同じことを行っているのだ。もちろん、ひとつだけ違いがある。ゆすり屋は、慣習的な定義によれば、政府という神聖さなしに、ゆすりを働いているからだ。(岡野訳)

 

 「以上の記述に、ある地域で飲食店や小売店を営業する者に対して、そのお地域の反社会的勢力から要求される、いわゆる「みかじめ料」のことを想起するひとがいりかもしれません。ここでいうprotection racketとは、まさにそのみかじめ料のことなのです。そして、その反社会的な集団と政府が違うとすれば、政府には神聖さを帯びる力があるからだ、とティリーは看破するのです。のちに見ていくように、この神聖さを帯びる力とは、神話を創造し、それを伝播・拡散する力だと言い換えてもいいかもしれません」―岡野さんはこう解説しています。

 

 反社会的勢力、防衛省に負けるわけにはいきません。近く、「佐賀空港オスプレイ等配備に反対する裁判を支援し、地権者とともにたたかう市民の会」(仮称)を結成し、同会への参加を全国の皆さんへ呼びかける予定です。その際は、どうかご参加をお願いします。
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平和な有明海

Author:平和な有明海
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佐賀市在住です。平和や障がい者、有明海問題に強い関心を持っています。1950年生まれ。戦争法廃止、原発廃止、有明海再生、障害者と共生できる社会づくりを目指します。

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