直言更新しました(2023年9月25日)「総理・総裁」が関与した大規模買収事件―早稲田大学の水島朝穂 さんから
★ 早稲田大学の水島朝穂 さんから:
直言更新しました(2023年9月25日)「総理・総裁」が関与した大規模買収事件―
「すがっち500」メモが示すもの+NHK連ドラ「らんまん」をきっかけに牧野標本館に行く
http://www.asaho.com/jpn/index.html
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2023/0925.html
■ 今回は、広島の『中国新聞』9月8日付スクープ記事について書きました。当
日午前中、リアルタイム検索の上位に「すがっち500」があがりました。2019年
参院選における大規模買収事件の捜査過程で、現在服役中の河合克行元法務大臣
の手書きメモが押収され、そこに「総理2800、すがっち500…」と表示されてい
たのです。買収の原資として使われた疑いがあり、検察もその方向で捜査してい
ましたが、公判には提出されず、闇に葬られようとしていたメモです。
3年前の「直言」で、この買収事件について「総理・総裁の罪」の「アンリ」
として書きました。今回は、事実上、その続編になります。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2020/0629.html
■今週で、NHK連続テレビ小説「らんまん」が終わります。私は見ていなかった
のですが、妻は熱心に見ていて、私も途中からはまりました。なぜなら、そこに
私の原点があったからです。9年前の下記「直言」をお読みください。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2014/0310.html
私のおじ、水島正美は都立大学助教授として牧野標本館で牧野標本の「同定」
の責任者でした。牧野富太郎が残した膨大な標本を叔父がひとつ一つ学名をつけ
る作業をやっていました。牧野標本の第1号にも叔父の名前が出ています。
今日の「らんまん」で宮崎あおいが牧野家を訪ねたのは1958年。都立大学が受け
入れるという言葉ができます。都立大助教授の叔父が1958年にそれを受け入れる
作業をしている写真です。
http://www.asaho.com/jpn/img/2023/mizushimamasamimakono.jpg
1972年に47歳で急逝しました。妻の強いすすめで、8月20日、都立大学で開催さ
れている企画展に行ったところ、私にとって思わぬ「ドラマ」が始まりました。
https://www.tmu.ac.jp/hot_topics/pr/35956.html
先週土曜日に、叔父の教え子の加藤僖重さん(獨協大学名誉教授、牧野標本館客
員研究員)と牧野標本館の会議室を含めて5時間もお話させていただきました。加
藤さんからシーボルトコレクション関連の著書を3冊も頂戴しました。シーボル
トコレクションのサイトには、叔父のことが出てきます。
http://ameba.i.hosei.ac.jp/sbweb/doc/index.html
1963年12月にレニングラードで学会があった際、そこでコマロフ植物研究所の
タクタジャン(Armen Takhtajan)博士と知り合った叔父は、牧野標本館の「標
本交換」でシーボルトコレクションを受け取りました。この二人の出会いがなけ
れば、日本にシーボルトコレクションがもどることはなく、また牧野標本館のど
の標本がいまロシアの研究所にあるのか。これを知っているのは、当時の牧野標
本館の責任者だった叔父だけですので、これから研究が始まるかもしれません。
このあたりを含め、いつか下記「直言」の雑談シリーズで、続編(牧野標本館編)
を書くつもりです。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2014/0310.html
なお、この9年前の「直言」には、「私が研究者を目指したのは、小さい時から
書斎にこもって原稿を書いたり、庭の温室をまわって植物の観察をしたりしてい
る正美おじさんの影響があるように思う。」とあります。膨大な牧野標本を1958
年からこつこつ整理・同定する仕事を続けながら、「自分が興味あることを見つ
けてそれを追い求めよ」という自由な指導方針で学生・院生と向き合っていたこ
とを、先週土曜日に、「都立大学水島ゼミ」の元ゼミ生から直接うかがって実感
しました。
■ 今週の金曜日から授業が始まります。現役教員としての最後の学期です。来
年1月19日の最終講義までしっかり授業します。
それでは、今週もどうぞお元気でお過ごしください。